最近私は民主主義国家において「ケインズ経済学」こそ、諸悪の根源ではないかと感じ始めています。
ケインズ理論における公共投資の乗数効果が数学的にあまりにシンプルで美しく、これには大変な魅力を感じるんですよ。
しかし公共投資はバラマキであり、その授権者が従うべきルールが決められます。
これは言ってみればまあ規制であり、市場の自由が失われるとともに、利権を生みます。
またそれにより政治家は票を合法的に買収しているのでもあります。
政治家は権力を確かなものにするためにバラマキを続けることになり、また利権を得ているものは利権を得続けるためにその政治家に投票し続けます。
このようにして国の借金が増え続け、権力は肥大化し、税金は増え続けます。
ケインズ理論はそもそも、街に失業者があふれかえっているときの政策としてバラマキを推奨したのですが、それ以外のときにも政治家は票になる政策としてケインズ理論を採用しています。
しかしこれはケインズ理論の間違った運用と言わざるをえないですね。
ケインズ理論は市場において価格など暴落するようなことがあり、古典派理論は万能ではないではないとの考えからスタートしていますが、本来は市場には価格の自動調整メカニズムがあり、価格の暴落などめったなことでは起こりはしないはずなんですね。
しかし市場の大きさに比べて、市場のプレーヤーが充分に小さいことが価格の自動調整メカニズムが働く前提でもあり、大きなプレーヤーが現れたときに、このメカニズムが支障をきたすようですから、ここのところを注視して、仕組みを再構築すれば価格は安定的にかつ適正価格を付けていくという風になるはずです。
古典派理論では政府は小さな政府を目指すことになります。
一方、ケインズ理論では大きな政府となっていき、随分と全体主義的な方向に流れていかないかと危惧します。
ケインズ経済学は権力を肥大化させ、民衆を政府に頼らせ、やがては民衆を隷従化してくみちではないかと思いますね。
アメリカでは端的に民主党がケインズ的、共和党が古典派的という感じですかね。
ケインズは性格的もちょっと権威主義的なところを感じますし、一方、ライバルのハイエクは学者然とした性格であるようにも思います。
経済学者の性格もその理論に現れているようにも思います。
ここのところはなかなか面白いところでもありますね。
権力志向の政治家にとってケインズ理論は喉から手が出るほど欲しい考え方で、より良き国家運営を考える政治家にとっては古典派理論の方があるべき姿だと考えやすいのではないかと思いますが、一方でここまですっきりと経済理論を整理できていない政治家の方が多いのが実情だと思います。
政治家ならこれぐらいのこと知っておいてよね。
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